TEXT from 市川哲史

 今も私の手許には、3本のカセットテープがある。
 1本は90年8月、YOSHIKIが散々出し惜しみしつつも、嬉しそうに渡してくれたシンセと打ち込みによる"ART OF LIFE"のデモテープ。1本は翌91年の初秋だったろうか、HIDE+PATA+TAIJI+YOSHIKIの演奏による、ヴォーカル抜き"ART OF LIFE"のOKテイク。そしてもう1本は、92年の暮れにいきなり送られてきた、ベース・パートがHEATHに差し替えられたこれまた"ART OF LIFE"のインスト――。
 93年7月にリリースされた「完成形」全1曲ミニアルバムを聴くよりも、この3本の「走馬灯」を聴いた方が本当、しみじみしてしまう。いろんな意味で。
 <過労性神経循環無力症>という聞いた事もない病のリハビリ中に書かれたこの曲が、世間に発表されるまでなんと3年7ヵ月。
 30分という「大長編」であるがゆえに、あの<マゾヒズムという名のナルシシズム>ハイスパート・ドラムを叩く事自体も、大変だった。叩ききるために当時はまだ珍しい職業だった「スポーツドクター」まで専属で雇い、肉体を鍛え、ドラムの録り日から逆算してカリキュラム組んで身体機能を整え――清原和博の復活劇も目じゃないな。今思えば。
当初この曲は、2ndアルバム『Jealousy』に収録されて、2枚組のDISC2を占めるはずだった。ところがYOSHIKIの完璧主義にして「非情な」ヴォーカル・ディレクションが災いして、レコーディング作業が10ヵ月を超えてもアルバムは完成せず。様々なビジネス事情も複雑に絡み合って結局、"ART OF LIFE"制作は中断を余儀なくされて『Jealousy』は、片肺のままリリースされた。しかし幸か不幸か、それが<X最高傑作>となったのだから、人生ってわからない。
 とまあ、紆余曲折だらけの"ART OF LIFE"なのだが、それだけに「想い出」も尽きない。個人的な話で申し訳無いが、Xがメジャーデビューを果たした89年から全盛を極めた93年までの5年間、私は最も濃密な付き合いをしてた音楽評論家だったと思う。
 何事においてもとにかく<too much>なXとYOSHIKI周辺。今更「都市伝説」の数々を書き並べるつもりはないが、この"ART OF LIFE"自体が<too much>そのものなのだ。
 そもそもなぜ、30分もの長編曲を作らねばならんのか。そもそもなぜ、ここまで個人的なネガティヴィティーとカオスを、「エンターテイメント」として表現せねばならんのか。そもそもなぜ、いろんな「人格」の自分をぼこぼこ生まねばならんのか。そもそもなぜ、いちいち「破滅」せねばならんのか。
 そもそもなぜ、英語の発音が苦手なTOSHIに英語詞を唄わせねばならんのか。そもそもなぜ、肉体が自爆するまで叩かねばならんのか。そもそもなぜ――。
私は全ての答えを知っている。しかしそれらが瑣末に思える「最高」の答えも知っている。「<too much>だからこそ信用できる」、ただそれだけの事なのだ。
本作品は、93年12月30・31日の東京ドーム公演のみで披露された"ART OF LIFE"のライヴ映像だ。10年経ってまさか、再び"ART OF LIFE"を観る日が来るとは、マジで思いもしなかったぞ。
 ピアノとドラムの二役で「死の快感」を味わうYOSHIKI。ひたすら演奏に終始する(しかない)4人。物凄い「歪み」の結晶がこのステージだ。だからこそ、美しいのだ。
まさに<究極のtoo much>、こういう「無駄」が私は懐かしく、そしていとおしい。

市川哲史(帰ってきた音楽評論家)