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フローレンス・ナイチンゲールの生涯・人生・功績【偉大な女性】
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フローレンス・ナイチンゲールの生涯・人生・功績​を見ていきましょう。イギリスの看護師として後世にも多大な影響を与えた偉大な歴史的女性です。
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フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)は、近現代史の中にその名前が刻まれる偉大な女性の一人です。
看護師としての使命に生涯を捧げ、その人生の中で多くの人々の命を救い、また、医療分野へたくさんの功績を残しました。
フローレンス・ナイチンゲールの生涯と人生、そして功績について見ていきましょう。
まずは、フローレンス・ナイチンゲールの基本的なおさらいから簡単に初めていきます。
目次
  1. フローレンス・ナイチンゲールとは?
  2. フローレンス・ナイチンゲールの生涯・人生・功績
    1. 生い立ち
      1. フローレンスと家族
      2. 幼い頃から慈善活動に積極的で若くして看護の道に目覚めたナイチンゲール
      3. 求婚を断って看護の道へ進んだフローレンス・ナイチンゲール
    2. 看護師としてのフローレンス・ナイチンゲール
      1. クリミア戦争において重要な役割を果たすことになるナイチンゲール
      2. クリミア戦争が終わってイギリスへ戻ると病院や看護学校の設立に取り掛かった
    3. その後のフローレンス・ナイチンゲールの人生から晩年
    4. ナイチンゲールの死
  3. 合わせて読みたい世界雑学記事
  4. フローレンス・ナイチンゲールの生涯・人生・功績【偉大な女性】のまとめ
フローレンス・ナイチンゲールとは?
フローレンス・ナイチンゲール(1820〜1910年)は、イギリスの看護師であり、病院建設や医療制度の改革に大きく貢献した女性。
彼女の功績としては特に、1853年から1856年の間にクリミア半島を舞台として行われた「クリミア戦争」での貢献が有名。
クリミア戦争中、フローレンス・ナイチンゲールと看護婦団の働きによって、イギリス軍兵舎病院の劣悪な衛生状態は改善され、死亡者数が大きく減少したのです。
さらに、ナイチンゲールが執筆した書籍は、世界中で医療衛生改革の火付け役となり、1860年には、戦時中に作られたナイチンゲール基金によって、聖トーマス病院およびナイチンゲール看護学校が創立されました。
このように、ナイチンゲールの活躍は、医療保険や陸軍全体の組織改革に繋がっていき、医療面での改革者として、また、看護師の立場を向上させたとして、後世に名前が残ることとなったのです。
フローレンス・ナイチンゲールの生涯・人生・功績
生い立ち
フローレンスと家族
フローレンス・ナイチンゲールは1820年5月12日、2年間の新婚旅行中であったイギリス人の両親の下、2人姉妹の妹として、イタリアのフェレンツェで生を受けました。
ナイチンゲール一家はイギリス裕福層の家庭であり、上流階級社交界の一員でした。
母親のフランシズ・ナイチンゲールは商家の出身であり、上級階級の著名人らとの付き合いを自慢に思っていましたようですが、母親の社会的な上昇志向とは逆に、フローレンス自身は人付き合いが不器用であったといわれています。
出来る限り人々の注目の的にならないように務めたようなのです。
また、頑固なフローレンスは、過剰に干渉しようとする母親と衝突することもよくあったと言われます。
しかしながら、多くの娘がそうであるように、ナイチンゲールも母親を喜ばせることに熱心でした。
これは、母娘関係に関してフローレンスが語った、
私がもっと気立てが良くて、母の意向に添う性格だったらよかったのにと思います。
という弁明からも分かります。
一方で、フローレンスの父親のウィリアム・ショア・ナイチンゲールは、裕福な土地所有者で、「ダービーシャーのリーハースト」と「ハンプシャーのエンブリー・パーク」の2つの土地を、フローレンスが5歳の時に相続しています。
そしてフローレンスは、リーハーストの私有地にて育てられ、そこで父親から、ドイツ語、フランス語、イタリア語をはじめとする古典教育を受けました。
幼い頃から慈善活動に積極的で若くして看護の道に目覚めたナイチンゲール
幼い頃からフローレンス・ナイチンゲールは、一家の私有地からほど近い村で、病気や貧困に苦しむ人々を助ける慈善活動に積極的でした。
16歳になる頃には、「看護」こそが自分にとっての天職であると確信していたと言います。
フローレンス・ナイチンゲールは、看護という仕事が自分に与えられた使命であると信じていたのです。
しかし、フローレンスが両親の元へ行き、「看護婦になりたい」という意思を打ち明けたとき、両親は喜びませんでした。
実際のところ、二人はナイチンゲールが看護婦になる道を歩むことを禁じたのです。
ヴィクトリア朝時代のイギリスでは、ナイチンゲールのような社会的階級にある若い女性は、裕福な男性と結婚することを期待されていました。
上流階級の人々から「地位の低い下働きのように見なされがちな職業」へは就くものではない
と考えられていたのです。
求婚を断って看護の道へ進んだフローレンス・ナイチンゲール
17歳の時、ナイチンゲールは周りから見て「身分相応の」紳士であった「リチャード・モンクトン・ミルンズ」から求婚されました。
しかし、ナイチンゲールはこの求婚を断ったのです。
ナイチンゲールは求婚を断った理由として、リチャードが知的で恋愛相手として魅力的であった一方で、
道徳心あふれる性格が満たされなければならなかったのです。そしてそれは、リチャードとの生活では得ることができないものだと思いました。
と語っています。
その後、両親の反対にも関わらず、自らの真の使命を果たす道を選ぶことを決意したナイチンゲールは、1844年、ドイツのカイザースヴェルトにあったフリードナー牧師のルーテル病院に併設された看護師養成所に入学しました。
看護師としてのフローレンス・ナイチンゲール
1850年代始め、ナイチンゲールはロンドンに戻り、病を患うガヴァネス​(個人の家庭内で子供たちを教育し、訓練するために雇われる女性のこと)​のための看護婦としてミドルセックス病院に就職しました。
そこでの働きぶりによって、雇い入れからわずか一年もたたないうちにナイチンゲールは看護婦長へ昇格。
ナイチンゲールは、コレラの発生や、コレラが急速に広まる要因となっていた不衛生な院内環境に対処しなければならず、この責任者としての仕事は大変なものだったようです。
しかしナイチンゲールは、衛生状態を改善することを自らの使命とし、その過程でミドルセックス病院における死亡率は著しく低下したのです。
ただし、過労によってナイチンゲール自身の健康状態にも悪影響が及んだ結果、この頃のナイチンゲールは、看護婦としてのキャリアにおいて最大の危機に直面していたと言われます。
クリミア戦争において重要な役割を果たすことになるナイチンゲール
1853年10月、クリミア戦争が勃発。
大英帝国は​オスマン帝国​の覇権を巡り、​ロシア帝国​と戦争状態になり、何千人ものイギリス軍兵士が黒海へ派遣され、そこでは供給物資が急激になくなっていきました。
また、1854年までに1万8千人もの兵士が兵舎病院に入院しました。
そのような状況にも関わらず、当時、クリミアの病院に常駐している女性の看護師は一人もいませんでした。
過去の女性看護師の評判が良くなかったため、戦争省が新たな女性看護師の採用を控えていたのです。
しかし、アルマの戦い​(1854年9月20日に起きたクリミア戦争での戦いの1つ)​の後、イギリス国内では病気や負傷したイギリス軍兵士達に対する、扱いの悪さに不満の声があがっています。
病院では医療従事者が極めて不足していたため、兵士は十分な治療を受けられないだけでなく、劣悪な衛生状態と非人道的な状況下に置かれて衰弱していました。
クリミアでの活動を依頼されたナイチンゲール
1854年後半、ナイチンゲールは戦時大臣シドニー・ハーバートから、クリミアで病気を患ったり、負傷した兵士を世話する、看護婦団を結成してほしいとの依頼を手紙で受けました。
ナイチンゲールは自らの使命のために立ち上がります。
ナイチンゲールはすぐさま、様々な修道女会から34名の看護婦を集め、わずか数日後には、クリミアへ向けて看護師団と共に出航したのです。
悲惨な状況を目の当たりにしたナイチンゲール一行
出発前に現地の悲惨な状況については知らされていたものの、コンスタンティノープルのイギリス軍兵舎病院がある「スクタリ」に到着したナイチンゲールと看護婦団の一行は、そこで目にした惨状に衝撃を受けました。
  • 病院は大きな汚水槽の上部に位置し、水や病院の建物それ自体も汚染されていた
  • 患者は廊下に散乱する担架の上に、自らの排泄物にまみれた状態で寝かされていた
  • ネズミや虫の類が患者のそばを動き回り通りすぎていた
  • 包帯や石鹸など、最も基本となる物資は、病気を罹ったり、負傷したりした兵士の数が徐々に増加するなか、ますます不足していった
このような劣悪な環境だったのです。
また、水でさえも配給される必要があり、多くの兵士が戦場で負った傷によってではなく、腸チフスやコレラなどの感染症が原因で亡くなっていく状況でした。
看護師としての仕事に取り掛かり大きな改善を達成する
現実的なナイチンゲールは、さっそく仕事にとりかかりました。
ナイチンゲールは何百本もの清掃用ブラシを調達し、最も症状が軽い患者らに院内の床から天井までを掃除してくれるよう依頼しました。
ナイチンゲール自身は一方で、起きている時間はすべて兵士の看護に充て、夜間になるとランプを手に暗い廊下を見回りのために歩きまわり、次から次へと患者の世話をして周りました。
ナイチンゲールの尽きることのない深い思いやりに感動し、癒された兵士たちは、ナイチンゲールを「​ランプの貴婦人​」と呼ぶようになり、また、「​クリミアの天使​」と呼ぶ者もいました。
そして、このナイチンゲールの働きにより、病院の死亡率は3分の2も低下したのです。
他にも様々なサービスを展開した
さらに、院内の衛生状態が大いに改善されたことに加えて、ナイチンゲールは院内生活の質の改善につながる患者向けサービスの数々を開始。
ナイチンゲールは「負傷兵のためのキッチン」を設け、そこでは特別な食事療法を必要とする患者にとって好ましい食事が調理されました。
また、患者が清潔なシーツ類を使えるように洗濯室を作ったり、患者が知的な刺激や娯楽を得られるように、教室や図書館を作ったりもしました。
一方で、クリミアで目の当たりにした現状を基に、ナイチンゲールは自身の体験を分析し、「劣悪な状況下で運営されている他の兵舎病院の医療衛生改革を提案する」830ページにおよぶ報告書『英国陸軍の健康、効率および病院管理に関する諸問題に関する覚え書』を作成。
この書籍が火付け役となり、1857年には軍の衛生状態に関する王立委員会が組織されるなど、陸軍省内の管理部門の総合的な再構築が実施されていくいこととなったのです。
クリミア戦争が終わってイギリスへ戻ると病院や看護学校の設立に取り掛かった
ナイチンゲールは、現在のイスタンブール対岸にあった、イギリス軍後方基地のスクタリの野戦病院に1年半滞在後、1856年の夏にクリミア戦争が終結するとスクタリを去り、幼少時代の郷里であるリーハーストへ戻ります。
そこで彼女は英雄扱いを受けて歓迎されましたが、謙虚な看護婦であったナイチンゲールは、英雄扱いされるのを好みませんでした。
また、ヴィクトリア女王はナイチンゲールの功績を賞して、「ナイチンゲールの宝石」として知られることになる刻印を施したブローチを授与。
さらにイギリス政府は、ナイチンゲールに賞金を贈りました。
そしてナイチンゲールは、この大金を自らの使命をさらに推し進めるために使うことを決意。
戦時中に作られたナイチンゲール基金が45000ポンドに達したこともあり、1860年には基金を使って聖トーマス病院を設立し、その院内に、ナイチンゲール看護学校を併設しました。
若い女性達へも大きな影響を与えることとなったナイチンゲール
これらナイチンゲールが達成した功績や行いは、民衆の称賛の的となり、ナイチンゲールに敬意を表して、数々の詩、歌、演劇などの作品が創作されました。
また、若い女性たちはナイチンゲールのようになりたいと志望するようになり、裕福な上流階級の子女でさえ、ナイチンゲール看護学校へ入学するようになったのです。
そして、ナイチンゲールの功績により、看護師という職業が上級階級の人々から冷やかな目でみられることはもはやなくなり、むしろ、名誉な職業として見なされるように変わっていったのです。
その後のフローレンス・ナイチンゲールの人生から晩年
38歳になる頃、​慢性疲労症候群に由来すると考えられる​虚脱状態に悩まされたナイチンゲールは、自宅から出られずにほとんどベッドの上で過ごすようになり、余生も同様に過ごしていくこととなります。
しかし、それでも「医療の改善と患者の苦しみを軽減したい」という強い意思は変わることがなく、ナイチンゲールはベッドの上で仕事に励み続けました。
ベッドにありながらもナイチンゲールは医療衛生改革の権威および提唱者であり続け、政治家と面会し、著名な訪問者の数々を歓迎したのです。
また、1859年には、民間病院を適切に運営する方法について記した『病院覚え書』を出版し、​アメリカ南北戦争​(1861〜1865年)の際には、野戦病院を最良の状態で運営する方法について頻繁に相談を受けました。
さらに、ナイチンゲール自身は一度もインドを訪れることはありませんでしたが、兵士と民間人の両方に関する、インドの公衆衛生問題の権威としての務めを果たしました。
そして1908年、88歳になったナイチンゲールは、イギリス国王エドワード7世により有功勲章(メリット勲章)を授かり、1910年5月10日の90歳の誕生日には、イギリス国王ジョージ5世から祝辞を受けました。
ナイチンゲールの死
1910年8月、フローレンス・ナイチンゲールの体調が悪化します。
しかし、一旦は持ち直し、気分も良いようであると報じられましたが、一週間後の1910年8月12日金曜日の夕方、数々の厄介な症状が現れました。
そして、その翌日の8月13日土曜日午後2時、自宅にて人々の予想に反して突然、しかし静かに、ナイチンゲールはこの世を去りました。
享年90歳でした。
国葬が打診されたが遺族は断った
イギリス国内にはナイチンゲールの栄誉を称えたいとする国民感情がありました。
しかし、病気の予防および貧しい人々や苦しんでいる人々に対して、安全で思いやりに満ちた看護を確実に行うことにその生涯を捧げたナイチンゲール自身は、その性格によって生前から「自身の葬儀は静寂かつ謙虚さをもって執り行って欲しい」と、その望みを打ち明けていました。
そのため、彼女の最後の要望を尊重すべく、ナイチンゲールの遺族は国葬を断り、「ランプの貴婦人」は静かにウェストミンスター寺院にある一家の墓に埋葬されることとなったのです。
合わせて読みたい世界雑学記事
フローレンス・ナイチンゲールの生涯・人生・功績【偉大な女性】のまとめ
フローレンス・ナイチンゲールの生涯、人生、そして功績を見てきました。
現在、ナイチンゲール看護学校は、ロンドン大学群の1つであるキングス・カレッジ・ロンドン内に移されていますが、この看護学校が元々あった場所にはフローレンス・ナイチンゲール博物館が建てられています。
博物館には、「クリミアの天使」と呼ばれたナイチンゲールの生涯や、キャリアを記念する2000点以上の所蔵品が展示されています。
そして、今日、彼女は近代看護のパイオニアとして広く知られ、敬われているのです。
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