Britannica Japan
2002年度版『ブリタニカ国際年鑑』「特別レポート」
狂牛病 日本に上陸
中村靖彦(明治大学客員教授)

1986年にイギリスで初の発症例が報告されたウシ海綿状脳症(BSE)。一般に狂牛病と呼ばれるこの牛の病気は、その後ヨーロッパ諸国(2000~)、日本(2001)、さらには北アメリカ(2003)へと感染範囲を広げている。狂牛病発生の経緯をたどる。


 2001年9月10日、日本で最初の狂牛病の疑いがあるウシが発見された。千葉県白井市の牧場である。このウシは、イギリスの研究所での厳密な検査の結果、21日になって、真正の狂牛病であることが確認された。発生の第1号である。その後、11月21日に北海道の屠蓄場で第2号、12月2日に埼玉県の屠蓄場で第3号が確認された。これまでのヨーロッパにおける例でもそうだが、1頭が確認されるとあとが続く。日本でも同様であった。3頭が見つかったということは、日本もヨーロッパなみの発生国になったことを意味する。万全と思われていた水際防止作戦が実は穴だらけのものであったことが暴露されたのである。そして、生産から流通、消費に至るすべての分野で、大混乱が始まることになった。

 狂牛病という病気
狂牛病は、正式にはウシ海綿状脳症という。BSE(Bovine Spongiform Encephalopathy)を直訳したものである。ただ、イギリスの農民が、この病気を「Mad Cow Disease」と呼んだことから、狂牛病という名前が使われるようになった。日本でも、ウシは狂っているわけではないとして、BSEという呼び方にすべきだと主張する向きもあるが、各メディアもわかりやすい狂牛病を使っている。
狂牛病は、正式にはウシ海綿状脳症という。BSE(Bovine Spongiform Encephalopathy)を直訳したものである。ただ、イギリスの農民が、この病気を「Mad Cow Disease」と呼んだことから、狂牛病という名前が使われるようになった。日本でも、ウシは狂っているわけではないとして、BSEという呼び方にすべきだと主張する向きもあるが、各メディアもわかりやすい狂牛病を使っている。
 さて狂牛病は1986年、イギリスで最初に発生した。ウェストサセックス県ミッドファースト村のピーター・ステントの農場である。この農場で、1984年の暮れから1985年の4月にかけて、よろめいたり自分では立てない奇妙な症状を示すウシが10頭ほど出た。最初はまったく原因はわからなかったが、県立獣医学研究所などの検査を経て、BSEと名づけられる病気であることが判明する。この確認が行なわれた1986年を発生の年としている。
 この病気で死亡したウシの脳を調べてみると無数の空胞ができていて、海綿状になっている。「ウシ海綿状脳症」ということばの由来である。ウシが平衡感覚を失ってよろめくのはこの脳の障害が原因である。治療法はなく、すべてのウシは死に至る。病原体は、プリオンという蛋白質である。ウイルス説もあったが、今日ではほぼ否定された。プリオンは「Protein-aceaous Infectious Particle」を略したことばで、直訳すれば「蛋白性感染粒子」となる。名づけたのは、アメリカの神経学者スタンリー・プルジナー博士である。この病原体の中には核酸がない。これは他の病原体、たとえばウイルスや細菌が核酸をもつのに比べてまことに奇妙である。核酸は遺伝情報を担い、病原体が活動するための情報をもっているものだからである。プルジナー博士は、この研究で1997年、ノーベル生理学・医学賞を受けた。
 とにかく非常に強靭な蛋白質である。高温にも冷凍にも耐えて生き延びる。ホルマリンのような強い薬品で消毒しても死なない。毎分4万回転という、世界最速の遠心分離機にかけても分離しない。このプリオンが、ある生物体に入るとその生物体の正常な蛋白質を変質させていく。そして最終的には、脳をおかして死にいたらしめるのである。プリオンが原因で起こる病気を総称してプリオン病と呼ぶが、狂牛病もその一つである。そして、狂牛病をはじめプリオン病は、潜伏期間が非常に長いのが特徴である。これは、プリオンが正常な蛋白質を変質させていく速度がきわめて遅いからである。ウシでは2年から8年といわれている。
 そもそもプリオンはどうしてウシの体に入ったのだろうか。現在ほぼ間違いない、といわれているのが、ヒツジのスクレイイピーからの感染である。ヒツジのスクレイピーは、古くから世界のあちこちで発生していた。この病気にかかると、ヒツジは体がかゆくなるのか、固い立木などに身体をこすりつける。「こする」を意味する「スクレイプ」ということばから病名がつけられた。原因はやはりプリオンである。脳に海綿状の空胞が見られるのは狂牛病と同じである。
 イギリスでは、このスクレイピーにかかったヒツジの屑肉や骨を粉状にして、餌の原料にしていた。これが肉骨粉である。ヒツジを屠蓄場で処理すると、人の食用にならない部分、つまり屑肉や骨が残る。これを大きな釜で煮沸して、脂肪分を抜き取って乾燥させ、粉状にする。一連の工程を「レンダリング」という。こうして製造された肉骨粉が、飼料の一部としてウシに与えられた。ウシの身体に入ったプリオンが徐々に正常な蛋白質を変質させて、狂牛病を発生させたのである。けれどもスクレイピーはかなり以前からあった病気である。肉骨粉にしてウシに与えることも行なわれていた。それが、1986年になって狂牛病を発生させたのはなぜか。ここには、肉骨粉の製造工程、レンダリングの変更がかかわっている。
 1973年の第4次中東戦争で、アラブの産油国は原油の価格を引き上げた。いわゆる第1次石油ショックである。肉骨粉を製造するレンダリングには、エネルギーとして大量の石油を使っていた。しかし高騰した石油を節約するため、業者は煮沸する時の温度を下げた。それまでは100℃以上で煮沸していたのを、80℃ほどに下げたのである。ところが、プリオンは熱にも非常に強い物質である。高温の煮沸によってかろうじて活性化が抑えられていたのが、温度が低くなったために壊れないまま肉骨粉の中に残ってしまった。製造工程の変更は、70年代の後半から少しずつ行なわれて、活性化したままのプリオンがウシの体に入り、数年の潜伏期間を経て1986年の最初の発生にいたるのである。
 その後は、狂牛病のウシの屑肉や骨も肉骨粉に製造されて、やはり餌の原料になった。ウシにも与えられたが、これは共食いである。人間が共食いを強制したことにより、狂牛病の派生はどんどん増えた。
 2001年11月28日現在、世界における狂牛病の発生頭数は、イギリスが18万1368頭、その他の諸国では2533頭である。発生国であるイギリスが圧倒的に多いが、2000年後半になってヨーロッパ大陸のフランス、ドイツ、ポルトガルなどの諸国にも発生が見られるようになった。また、このところイギリスから地理的に離れたところに発生し始めているのも特徴である。ギリシア、チェコ、スロバキア、スロベニア、そして日本に2001年になって初めて発生が確認されている。

 人間への感染
 このように蔓延した狂牛病だが、これがウシだけにとどまっていたのなら、今日ほどの恐怖の原因にはならなかっただろう。世界中の人々をパニックに陥れたのは、1996年3月20日の、イギリス健康保険相ステファン・ドレルによる下院での発表であった。ドレルは、狂牛病が人間に感染したことはほぼ間違いない、という恐ろしい事実を国民に説明したのである。
 1986年の狂牛病の最初の発生以来、イギリスでは行政も科学者も、これが人間に感染する証拠はないと言い続けてきた。もちろん科学者たちは継続して狂牛病と人間とのかかわりを研究していた。この結果、1996年になって、死亡した10人の患者の脳細胞に異常な変化があることを発見する。従来から世界のあちこちで例があるクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)に近い病変だが、明らかに違いがある。科学者たちは、これを変異型のクロイツフェルト・ヤコブ病、vCJDと名づけた。そして病変の特徴から、狂牛病が感染したものであることはほぼ確実であると判定した。普通のCJDが、年配者に多く見られるのに対して、vCJDと診断された10人はすべて若者であった。感染の原因は、プリオンが活性化したまま蓄積したウシの部位を食べたことによるものと思われた。vCJDも、やはり死亡率100%である。イギリスの国民は、この発表に愕然とした。なにしろ10年間、人間には関係ないとされてきた狂牛病である。突然、実は関係があると言われたのでは立つ瀬がない。いったいこれまでの説明はなんだったのか、人々は呆然とし、昨日までの食生活をふりかえって困惑した。そして恐怖は、イギリスから世界中へと広がっていった。
 vJCDは、狂牛病にかかったウシの、プリオンが活性化したまま残っている部位を食べることによって感染する、と推定されている。この部位を、プリオンの蓄積が見られる特定危険部位という。ウシの脳、脊髄、目玉、それに回腸の一部である。けれども狂牛病は潜伏期間が長いから、プリオンを体内に持っていても発症していないことがある。病状が出る6ヵ月くらい前までは、食べても心配がないというのが通説である。さらに筋肉と牛乳には、仮に狂牛病にかかったウシであっても、プリオンの蓄積は見られない。普通の牛肉や牛乳は安全だといわれるのはこのためである。またブタとニワトリには狂牛病の感染がない。プリオンが入った組織を、ブタやニワトリの脳に直接移植しても発病しないことが証明されている。
 vCJDにかかった人は、2001年6月29日現在115人、イギリスが最も多くて111人で、うち9人は生存中だが、残る102人はすでに死亡した。他にフランスで3人、アイルランドで1人発症しており、すべて死亡している。

 連鎖の元――肉骨粉
 狂牛病から人間のvCJDまで、その連鎖の元は、プリオンが入った肉骨粉であった。肉骨粉はなぜ、家畜の餌として使われるようになったのだろうか。肉骨粉の効用としては次の3つがあげられる。まず、栄養価が高いことである。そして蛋白質飼料としては、ダイズなどに比べて価格が安い。もともと廃棄する屑肉や骨なのだから、安いのは当然である。そしてもう1つは、リサイクルである。
 1900年代の半ば頃から、イギリスではヒツジの頭数が急激に増えた。農家が経営規模を大きくして、効率的な畜産を目指すようになったからである。頭数が増えれば、屠蓄場で処理する数も増える。そして出てくる屑肉や骨という、人間の食用にならない部分の始末が大きな課題になった。焼却や埋め立てなどの処分方法はあるが、場所や施設が必要になる。最も手っ取り早い処分方法が、餌にしての再利用であった。このリサイクルを進めるために、肉骨粉は製造され普及したとみてよい。イギリスでもフランスでも、畜産の技術指導者たちは、肉骨粉は栄養が豊富で家畜の成長を早めるとか、牛乳をしぼると母体のカルシウム分が不足するので、餌として肉骨粉を与えるのがよいとの説明を行なってきた。決して嘘ではないだろうが、リサイクルの必要性に迫られて、というのが肉骨粉普及の背景と考えられる。
 それにしても、ブタやニワトリに対してならまだしも、ウシは胃が4つある反芻動物である。繊維が多いわらや牧草を餌にするほうが、ウシの生理にはふさわしいはずである。その生理に反して、消化の良い肉骨粉を共食いまでさせて与えた結果が狂牛病であった。とりわけ、生まれたばかりの子牛に与える代用乳に、この肉骨粉が混ぜて使われた。母牛が出す牛乳は貴重な商品である。だから子牛は、母牛から引き離して代用乳を与える。ここには、生きている動物への思いやりは感じられない。ウシは「物」として扱われている。狂牛病は、効率化至上主義がもたらした一つの帰結である、との思いを強くする。
 狂牛病と、人間に感染したと思われるvCJDの発生で、ヨーロッパは大混乱に陥った。特にイギリスでの肉骨粉をめぐる対応が混乱をきわめ、ヨーロッパ大陸へ狂牛病が広がる結果を招いてしまった。
 狂牛病の原因が肉骨粉であることは、第1号発生の次の年には、科学者が推定していた。そこでイギリスでは、1988年7月にウシやヒツジなどの反芻動物から製造した肉骨粉を反芻動物に与えるのを禁止する。けれどもブタとニワトリには与えるのを認めていたから、製造は、続けられた。他の国への輸出も行なわれた。近隣の国々では、フランスが1989年にイギリスからの動物性飼料の輸入を禁止する。しかし、1990年までは例外としてブタとニワトリ用には輸入をみとめていたので、中途半端な対応であった。ウシ用、ブタ用と分けていても、製造のラインや流通の段階で両者が混じる可能性は大きく、肉骨粉の規制は不十分だったといわざるをえない。
 イギリスでは1994年11月に哺乳動物からの肉骨粉を反芻動物に与えることを禁止して、いくらか規制を強める。そして1996年に狂牛病の人間への感染がほぼ確実視されるにいたって、ようやく哺乳動物からの肉骨粉をすべての飼料、肥料に混ぜることを禁止するのである。政府は、すでに出回っている分の回収も指示し、あわせて輸出も禁止した。しかしこの頃すでに、製造された肉骨粉は販路を求めてイギリスから他のヨーロッパ諸国に流出していた。ブローカーが関与した水面下の流通であった。そしてこのような肉骨粉を使ったドイツ、ポルトガルなどの農場に、2000年の後半くらいから狂牛病を発生させていったのである。
 プリオンが入った肉骨粉は狂牛病の元である、といった情報は特にイギリス以外の国の農民には届いていなかった。農民たちは乳価が上がらないなかで、なんとかコストを引き下げた経営をしようと、安い飼料である肉骨粉を使っていたのである。畜産指導者の勧めもあったから、疑問は起きなかった。各地に狂牛病を蔓延させた原因は、イギリスにおける肉骨粉の規制が最初からゆるく、国内外への浸透を防ぐことができなかったことにあると思われる。
 イギリスでは、1996年の肉骨粉の全面禁止とともに、生後30ヵ月以上のウシは食料にしないとの決定も行なわれた。生後30ヵ月以上のウシは食べないようにした理由は、プリオンが正常な蛋白質を変質させていく速度がきわめて遅いことと関係がある。その月齢以下では、プリオンが入っていても蓄積はわからないくらいなので、特に注意する必要はない。月齢30ヵ月で線を引いてこれ以上育ったウシは食べない、というかなり厳しい規制である。ちなみに、狂牛病が発生するウシは圧倒的に肉用牛より乳牛が多い。これは、乳牛の場合は何回か子供を生ませるので、飼育期間が長くなるためである。プリオンが入っていれば、この間に徐々に活動を活発化していって、やがては症状が出ることになる。ところが肉用牛は、一定の体重になれば出荷してしまうので、プリオンの蓄積はまだはっきりせず、もちろん症状もない。別の言い方をすれば、1986年の狂牛病発生以後1996年までの間、イギリスの国民は、このような段階にある肉用牛を、ずいぶん食べていたことにもなる。

 甘かった日本の水際防止作戦
 日本に狂牛病が侵入する心配はない――行政機関はこう言い続けていた。日本では、侵入防止策をとる役所は、農林水産省と厚生労働省である。確かに、いくつか手は打ってきたようにもみえる。
 まず生きたウシは、イギリスからの輸入を1990年から禁止している。その他の国からは発生が確認された時点で輸入を禁止、さらに2001年1月からはヨーロッパ連合(EU)諸国とスイスからの輸入も行なっていない。牛肉やウシの内臓は、イギリスからは前回の口蹄疫発生に伴って、1951年から輸入をしていない。1996年からは加工品も入ってきていない。EU諸国からは、2001年1月以降、牛肉、内臓、それに加工品の輸入をすべて止めている。また、ウシの精液と受精卵についても、イギリスからは1996年3月以降、他のEU諸国からは2001年1月以降、すべて輸入を禁止している。しかし、日本でもついに狂牛病が出てしまった。原因は、やはりプリオンを含んだ肉骨粉であることはまちがいない。ヨーロッパに狂牛病を蔓延させた肉骨粉が、どこかで日本国内のウシ用の餌に紛れ込んで病気を起こした。このような現実をみると、やはりこれまでの肉骨粉の流通を検証する必要があるように思う。日本は、2000年におよそ18万トンの肉骨粉を輸入した。国産が40万トンほどあって、両者を合計してもたいした量ではないが、栄養補助的な意味もあって配合飼料に混ぜるメーカーもある。
 イギリスからは、1996年以降日本は肉骨粉を輸入していない。それ以前からの輸入もなかった。しかし他の発生国からの輸入は、つい最近まで続けられていた。たとえばイタリアである。イタリアからの肉骨粉の輸入は、1999年と2000年を合わせて5万トン近い。そのイタリアでは、2001年に最初の狂牛病が確認されたが、11月28日には38頭に増えている。日本がイタリアからの肉骨粉輸入を全面的に止めたのは、2001年の10月になってからであった。もちろん輸入する肉骨粉は、国際基準を守って製造されたものに限られている。国際基準とは、133℃以上、20分、3気圧のもとでの製造である。前述したように、プリオンは非常に強固な物質なので、このような条件のもとで活性化を抑えて、初めて輸入することを認めているのである。さらにイタリアには、一段と厳しい136℃、30分、3気圧の条件を課していたのだが、要はこの保証である。製造作業を日本側の監視員が見ていたわけでもない。はたせるかな、日本での発生ののち、農林水産省の担当者がイタリアに飛んで実情を調査したところ、3年前の製造方法は、必ずしも国際基準に合ったものではないかもしれない、との結果が出た。イタリア側は反論しているが、100%の信用をおけるかどうかはわからないのである。日本での発生の感染ルートはまだ解明されていないが、このあたりに謎がひそんでいるような気がする。
 1996年、世界保健機関(WTO)は、肉骨粉を飼料としてウシに与えることを禁止する勧告を出した。各国は、狂牛病の物質を含む可能性のある組織が、いかなる食物連鎖にも入らないようにすることと、ウシなどの反芻動物の飼料に反芻動物からつくった組織を使うことを禁止する、というものである。1996年は、前述したように狂牛病が人間に感染することがほぼ確実とみられた年である。この勧告をうけてアメリカ、カナダ、オーストラリアはそれぞれ自主規制を行なったのち、1997年から法律で規制を実施した。アメリカは、発生国からの肉骨粉の輸入は行なっていない。ところが日本は、勧告の内容を行政指導したにとどまった。行政指導では、それほどの拘束力はない。日本はWTOの勧告をそれほど重視していなかったとみられてもしかたがない対応であった。今回の第1号発生のあと、農林水産省は全国の畜産農家を対象にして、ウシに肉骨粉を与えていなかったかどうかを調査した。その結果、行政指導にもかかわらず9000頭をこえる数のウシに、肉骨粉や骨粉が与えたれていたことが判明したのである。日本で法律による罰則付きの規制が実施されたのは、第1号発生のあとであった。発生国からの輸入もつい最近まで行なわれており、アメリカなどの厳しい対応とはきわだった違いをみせている。アメリカでは狂牛病は発生していない。
 国際的な注意を日本は軽視した。侵入を防ぐことができる、との過信があったのだろうか。もう一つの事例がある。2001年の春から夏にかけて、日本はEUと激しいやりとりをした。日本がEUに狂牛病のリスク評価を求めたのが発端であった。もともとは、EUに化粧品や医薬品を輸出するに際して、このリスク評価が必要との条件があったからである。ところがEUが示してきた報告書は、日本は4段階に分けた危険度で2番目に悪い評価の国であるという内容であった。日本のレベル3という評価は、狂牛病発生の可能性があることを意味する。過去を20年間さかのぼると、イギリスなどヨーロッパ諸国から肉骨粉を輸入していた実績があること、ウシ用とブタ、ニワトリ用の餌の製造ラインが同じになっているところがあって、混入を防げない、などがレベル3の理由であった。
 日本は、この調査結果に不満であった。日本は安全だ、との主張が脅かされる内容だったからである。EUが警戒する期間を20年間と、通常の国際基準の8年よりきわめて長くとっていることや、日本は発生国ではないのに、発生国なみの基準で評価がなされたことに反発した。日本は3度にわたって抗議し、結局EUはこの評価報告書の公表をとりやまたのである。やはり過信があったのだろう。不満な評価でも、とにかくこのような見方があることをすなおに受け止め、体制を整備しておこうと考える謙虚さもなかった。それからほどなく日本で第1号が発生したのだから、農林水産省の面目はまるつぶれとなってしまった。

 完璧な安全性確保に向けて
 いくつかの不手ぎわはあったが、日本における安全性確保の体制は整いつつある。まず屠蓄場に運び込まれるウシについては、全部から延髄の組織の一部をとって、プリオンが蓄積していないか検査をする、いわゆる全頭検査が始まっている。狂牛病の2頭目、3頭目はこの全頭検査でひっかかったものである。この検査によって、現在流通している牛肉や危険部位を除く内臓はすべて安全になった。また全頭検査前に処理されて、保管してあった牛肉は全部焼却することになった。牛肉の部分は危険がないのだが、消費者の不安を考慮しての措置である。
 背割りの方法についての検討も行なわれている。背割りとは、ウシを解体して枝肉にする時に背骨を電気のこぎりで割る手法のことである。背骨のなかには危険部位である脊髄が入っているので、これは取り除く。現段階では作業員が手で取り除いているが、脊髄の一部がこぼれて他に付着したりしないか、との心配もある。作業の間は、水で絶えず洗い流しているので付着の可能性はほとんどないが、もっと完全に取り除く方法はないか、検討が行なわれている。いまいちばん実現性が高いのは、真空ポンプのような機械で脊髄を抜き取る方法で、すでに試験的に実施しているところもある。近い将来、全国的なマニュアルができると思われる。
 そして生産段階では、ウシの背番号づくりが始まった。日本にいる肉用牛、乳牛およそ450万頭のすべてに識別標識をつける。その標識にはウシの性別、生まれた場所、誕生日、移動歴などを記録、データベース化して一元管理をすることになる。現在でもある程度の規模を持つ農場では、識別標識をウシの耳のところにつけて個体管理をしているが、これを全国共通の規格にして管理しようというのである。屠蓄場に運ばれたウシになにか懸念が生じた時は、その識別標識によって生まれた農場まで情報をたどることができる。このようなトレイサビリティ(追跡検証)の手法は、実はEUがすでに実施しており、規格ができあがっている。EUではこの農場段階に加えて、ウシが屠蓄された場所、部分肉になった場所を、最終消費者が手にするスーパーマーケットの肉パックのバーコードに記入することにした。フランスでは、この方式を2002年から採用する予定である。
 日本では狂牛病発生以来、牛肉の消費が落ち込んで、生産者や流通関係、そして外食産業が大きな打撃を被っている。しかし、牛肉は非常に良質な蛋白質を持つ食材であり、消費の減退は、健康や栄養の上で大きな損失といわざるをえない。今日、消費を回復させるために必要なことは、狂牛病をめぐるすべての事柄についての正しい情報開示である。そして行政は、その情報が生産と消費の末端まで行き届くように努力をしなければならない。
 狂牛病は、人間の身勝手が引き起こした病気である。効率化最優先の共食いの強制、経済性優先の肉骨粉製造工程変更、そこには自然な状態で暮らすべき動物に対する配慮が欠けていた。狂牛病は、このような農業と畜産に対する警鐘であった。さらに、人間に感染した結果とされるvCJDを含めて、一連の恐怖と不安はしずまっていない。ここで人類は、狂牛病とvCJDをめぐる経緯を整理しなおして、その教訓を21世紀に生かす必要がある。




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