Britannica Japan
1997年版『ブリタニカ国際年鑑』「特別リポート」
アトランタ・オリンピック
メリンダ・C.シェパード(『エンサイクロペディア・ブリタニカ・イヤーブック』副編集長

1996年に行なわれたアトランタ・オリンピックは近代オリンピック100周年にあたる記念大会であり、IOC加盟のすべての国と地域がもれなく参加した画期的な大会だった。しかし、回を追うごとに膨れ上がる運営資金やあとを絶たないドーピング問題など課題は山積している。


 1996年7月19日から8月4日まで17日間、アメリカ南部を代表する都市、ジョージア州アトランタは、全世界からつめかけた万を数えるスポーツ選手と大観衆を迎え、4年に1度のスポーツの祭典、第26回夏季オリンピック・アトランタ大会の興奮に沸き立っていた。フランスの故ピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱で復活した近代オリンピックが1896年、アテネで第1回大会を開いてからちょうど100年、この大会はそれを記念する祭典でもあった。
 その100年の歴史のなかで初めて、ここアトランタには国際オリンピック委員会(IOC)に加盟する197の国と地域が一つも欠けることなく、勢ぞろいしていた。これには、実は画期的な意味があった。そのことは、ちょっと過去を振り返ってみればわかる。第二次世界大戦後のオリンピック大会は毎回、政治がらみのボイコットや閉め出し問題でゆれ続けてきたのだ。76年のモントリオール大会は、台湾選手団がカナダ当局から入国を拒否され、アフリカとアラブ27ヵ国の大会ボイコットにつながった。80年の共産圏初開催のモスクワ大会は、ソ連(当時)のアフガニスタン侵攻をめぐって東西両陣営が鋭く対立、アメリカをはじめカナダ、西ドイツ、日本など西側64ヵ国に及ぶ大規模なボイコットを招いた。その報復として84年のロサンゼルス大会には、ソ連・東欧圏を中心に社会主義国14ヵ国がボイコットで応じた。また88年のソウル大会には北朝鮮とキューバ、エチオピアなど7ヵ国が参加を拒否したし、92年のバルセロナ大会は、ボスニア内戦の責任を問われ国連の制裁を受けていた新ユーゴスラビアとマケドニアが国としての参加を認められず、選手は「個人の資格」で出場するしかなかった。こうして冷戦時代には、オリンピックという世界平和を行動理念とするスポーツの祭典にまで、イデオロギーと国際政治の対立が暗い影を落としていたのにひきかえ、今回の大会は「人類の平和」のスローガンにふさわしく、アトランタの灼熱の太陽のもと、久しぶりに「政治抜きの明るくにぎにぎしい祭典」となったのである。
 アトランタ大会には、前回のバルセロナ大会に合同チーム「EUN」を組んで参加していた旧ソ連の12の共和国が、それぞれ単独の選手団を送り込んだ。初参加はギニアビサオなど9ヵ国。流血の民族抗争に明け暮れて大会会期中に軍事クーデターまで起こったアフリカの小国ブルンジもその一つで、選手2人を派遣したが、その1人が陸上男子5000mでみごと金メダルを獲得し、もう1人も1万mで4位に入賞する快挙を見せた。94年に自治政府を樹立したばかり、IOCに仮加盟して選手4人を送ったパレスチナも、もちろんこの大会が五輪初参加だったし、選手24人ほか総勢70人の北朝鮮選手団も、国交のないアメリカの土を今回初めて踏んだことになる。その初舞台で、北朝鮮は金2、銀1、銅2の5つのメダルを手にした。またかつての敵国、アメリカでの大会に初参加したという点では、ベトナムも同様だった。ホンコンは、ヨットの女子ミストラル級(ボードセーリング)で優勝した李麗珊選手が史上初の金メダルをもたらしたが、97年7月に中国に返還となるホンコンとすれば、それはまた「最後の金メダル」でもあった。
 こうして五輪史上最大規模となったアトランタ大会は、総計1万624人の選手(ほかに役員約5000人)が参加し、26競技271種目(男子163、女子97、男女共通11)で栄冠を目指し、技を競い合った。選手全体の36%、ざっと3700人は女子が占め、これも五輪史上の新記録となった。100年前の第1回アテネ大会が参加13ヵ国、選手も男子ばかり245人だったことを思うと、今昔の感にたえない。
 アトランタ大会で登場した新競技は女子のソフトボール1つだったが、種目としてはサッカーに女子が加わったほか、バレーボールのビーチバレー男女、自転車のマウンテンバイク男女、ボートの軽量級ダブルスカル男女、同かじなしフォア男子など、前回より14種目増え、これも空前の規模となった。その結果、金、銀、銅のいずれかのメダルを1個以上獲得した国・地域が79に達した(バルセロナでは64ヵ国・地域)。そのうち、1つでも金メダルを手にしたのは53(うち5つの国・地域は初めての金)と、やはりバルセロナの37ヵ国・地域を上回った。金メダルの獲得数を国別にみると、アメリカが44個と2位のロシアの26個を大きく引き離した(ほかに銀32、銅25を加えると、アメリカの獲得したメダル総数は101個)。3位は20個のドイツ、4位は16個の中国で、以下フランス、イタリア、オーストラリア、キューバ、ウクライナと続き、韓国も7個と10位にくい込む健闘ぶりをみせた。それに比べ、役員を含め499人の大選手団を送り込んだ日本は、金3個(銀6、銅5)の20位にとどまった。またこの大会では、25の世界新記録が生まれた。
 先のロサンゼルスに続き、連邦政府や州政府の資金援助を一切受けずに大会の開催都市を買って出たアトランタは、当然ながら容易ならざる難問に直面した。またアトランタ五輪組織委員会(ACOG)は、大会運営の不手際をめぐり容赦ない非難を浴びた。特に選手や報道関係者のバス輸送態勢が不備で、混乱を引き起こしたこと、ボランティア4万人に加えて警官3万人を動員した厳重な警備で安全チェックに手間取り、大会日程が遅れがちだったこと、専用回線で競技場とACOG記録センターを結んだ自慢のハイテク記録配信システムのコンピュータが故障がちで、しばしば立ち往生をしたことなどがやり玉にあがった。また、ACOGが特定企業から巨額の資金提供を受けるため公式スポンサー制度を採用したこと、露骨なコマーシャリズムが目立ったこと、アメリカの観衆が「極端な愛国主義」に走りがちで、アメリカ選手団への大声援がひんしゅくを買ったこと、さらには、これまた4億5600万ドルという莫大な放映権料をIOCに支払ったアメリカのネットワークテレビNBCが、人気競技をゴールデンアワーに放映しようと競技日程に横車を押したり、CMを挿入するため競技を中断させたことなども、問題になった。大会誘致の立役者でもあったビリー・ペインACOG会長は、アトランタ大会の収支はトントンか若干の黒字を計上できるだろうと胸を張ったが、民間資金のみで五輪大会を運営するという実験は、これが最後となりそうである。
 しかし、こうしたさまざまな問題はあったものの、それがアトランタ市民自慢の「サザンホスピタリティ(南部流のもてなし)」の心意気をくじいたり、100万をこす大観衆の熱気に水を差すことはなかった。ただ、大会半ばの7月27日未明、このお祭り気分を一時的にせよ凍りつかせるような事件が起こった。メインスタジアムに近いオリンピック100周年記念公園の野外コンサート会場で、何者かが仕掛けたパイプ爆弾が大音響とともに炸裂し、女性1人が死亡、数千人の群集が逃げまどって100人あまりが負傷し、さらに取材に駆けつける途中のカメラマンが心臓発作を起こして死ぬという惨事となった。幸い競技の日程に支障はなく、いったん閉鎖された公園は30日に再開され、数百人がテロの犠牲者を追悼した。
 アトランタ大会に集まった世界の著名なスポーツ選手のなかには、「金メダルの常連」とでも呼びたい顔ぶれがそろっていた。その筆頭格、アメリカのカール・ルイスは走り幅跳び決勝で8m50を跳んで優勝、この種目で五輪4連覇を果たすとともに、ロサンゼルス大会で100m、200m、走り幅跳び、400mリレーで一挙に4個の金メダルを手にして以来、通算9個目の金メダルとなった。ボートの男子かじなしペアで優勝したイギリスのスティーブン・レッドグレーブも、ロサンゼルス大会のかじ付きフォアでの優勝を含め4大会連続で金メダルを獲得し、同時に今大会イギリス唯一の金メダリストとなった。92年バルセロナ大会の高飛び込みに13歳で優勝した中国の伏明霞は17歳の今回、演技にさらに磨きがかかり、高飛び込みと飛び板飛び込みの両種目を制した。アメリカの男子スプリンター陣の雄、マイケル・ジョンソンは黄金色のスパイクシューズでトラックに立ち、200m(19秒32の驚異的な世界新)と400m(43秒49の五輪新)で男子初の2冠獲得の栄誉に輝いた。女子でこのジョンソンに匹敵する快挙を成し遂げたのが、やはり200mと400mを制したフランスのマリ=ジョゼ・ペレクと、800mと1500mの2冠を獲得したロシアのスベトラナ・マステルコワだった。個人でこの大会最多の6個のメダルをさらったのは、ロシアの体操選手アレクセイ・ネモフで、団体と跳馬で金、個人総合で銀、ゆか、あん馬、鉄棒で銅メダルを獲得した。一方、プールサイドを沸かせたのは、なんといっても女子競泳のアイルランドのミシェル・スミスで、200mと400mの個人メドレーと400m自由形で金メダル3個のほか、200mバタフライでも銅メダルを手にする活躍ぶりだった。ただ、設備の整ったプールと優秀なコーチを求めて母国を離れ、もっぱらアメリカで練習を積んでいたことや、400m自由形のエントリー手続きに疑問があり、他国チームから国際水泳連盟(FINA)に提訴されたり、短期間でにわかに記録が縮まったことからドーピング(禁止薬物使用)の噂が流れるなど、なにかとご難続きではあった。
 ともあれ、アトランタの宴は終わった。IOCのオリンピック運動は、20世紀を締めくくる2000年のシドニー大会、さらには新世紀の新たな100年を目指して活動しているが、直面する課題も多岐にわたる。アトランタ大会が如実に示していたように、回を追って規模がふくれ上がる巨大イベントの資金調達と運営をどうすべきか、むしろ競技・種目を減らしてスリムで質実な五輪を考えるべきではないか、過度の商業主義にどう歯止めをかけたらよいのか、政治の介入や五輪に便乗する特定の個人の野望を封じ、テロを排除する有効な手立てはあるのか、あとを絶たないドーピング問題にどう対処すべきか――「スポーツを通じた世界の交流と人類の平和」を掲げるオリンピック運動の理想は美しいが、抱える課題はなかなか深刻なのである。(平野勇夫訳)




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