ヌンチャクについて

 

 今回は木刀から少し離れて、ヌンチャクのお話でもしましょう。

 ヌンチャクは周知のように琉球古武道に伝わる武器ですが、これのルーツについては諸説あり、本当のことは今もよくわかっていません。同様の武器は中国では双節棍あるいは両節棍がありますが、寸法は沖縄のものよりも大型で、つなぎの部分は比較的短めで、三節棍と同じように鉄環を使っています。この他にも哨子棍、あるいは鏈といって、一方の棒が短くなっているか、棒の代わりに短い鎖分銅がついているものもありますが、いずれも操作法や用法は沖縄のものとは著しく異なります。

 ちなみに福建語では両節棍と書いてヌンチャクンと読むそうで、それがヌンチャクの語源ではないかとする説があり、これがもっとも有力なようですが、技術そのものはことなり、しかも中国では沖縄ほどには盛んに行なわれてはいないようなので、おそらくは武器は伝わったが用法は沖縄で空手の術理に準拠して出来上がったと見るのが妥当と思います。フィリピンにも同種の武器は伝えられており、タバクトヨクと呼ばれていますが、これも武器だけが福建から伝わったものかもしれません。タバクトヨクはフィリピノカリの技術の一端として体系付けられており、カリスティックと同じくラタンの木を材料とし、用法はスティックの技術の延長になっているので、沖縄のそれと比べると非常に軽快で、独特の振り技を多用します。

 日本でヌンチャクが広く世上に知られるようになったのは、何と言ってもブルース・リーの映画「燃えよドラゴン(1973)」がきっかけでしょう。ここではブルース・リーはタバクトヨクの技術をショーアップして見せたのですが、日本では一部の空手家や古武道家には訳知り顔で「本当のヌンチャクはあんな使い方をしない(沖縄のものではないのだから、当たり前ですけど)」と批判したり、甚だしきに到っては「あれは俺が教えたんだ」なんぞとふかしまくる者までいました(もちろん、誰も問題にはしていませんが念の為)。ブルース・リーがはじめてヌンチャクを使って見せたのは「グリーン・ホーネット」の中であり、「燃えよドラゴン」で使ったのとほぼ同型です。ちなみに「ドラゴンへの道」では基本的な用法をかなり丁寧にやって見せているので、興味ある方は参考にするといいのではないでしょうか。「死亡的遊戯」のヌンチャク師弟対決も見応えありました。

 

 

 市販されているヌンチャクは大体に於いて棍の長さが一尺二寸であり、これより短い一尺以内のものもありますが、ヌンチャク術の基本を学ぶのであれば尺二のものが適しています。この場合、つなぎの紐は五寸くらいにしておくと、背面取り(ヌンチャクを背中に担ぐようにして持つ)が楽に出来、基本技である小手返し(両棍を持ち、右手を離し、左棍尖を支点として右棍を上に跳ね上げるように飛ばし、左手の上で受け取る)の時に、握りの位置がずれません。また他の振り技もスムーズに出来ます。

 ヌンチャクの材質についてですが、樫(赤、白)、枇杷、鉄刀木、スヌケ、黒檀、紫檀などがありますが、いずれも国産品が最も質がよく、愛好者に喜ばれているようです。鉄刀木や黒檀、紫檀はどちらかといえば美術品の趣があり、組棒などで遠慮なくぶつけ合うのには不向きかもしれません。

 つなぎの紐は私の経験では、綿の金剛打ちの紐がもっとも適しているように思います。なお、紐は通す前にロウを流し込んでおき、つなぎ穴の角の部分はあらかじめヤスリをかけておくと、紐の磨耗を最小限度に抑えることが出来ます。そして、もし出来れば紐を通す側面の溝を一方向だけ少し削っておけば、紐を結ぶスペースが取れます。また稽古後に、刀油を浸した布で全体を軽く拭いておくと長持ちします。

 ヌンチャクの攻防技術ですが、攻撃には振り打ちをはじめ、至近距離での棍尖での突き、打ち、つなぎを利用した喉輪、棍底での打ち込み、束ね持っての突き、打ち、

更には締技や逆技と、実に多彩です。防禦はヌンチャクを中心に体を円形に捌くのが基本であり、これによって有利な態勢を維持し、即座に攻撃に変化します。ヌンチャクを使って受ける時は体捌きと共にヌンチャクを弓形に張り、空手の揚げ受や外受けの前腕の動きと同じように棍部をねじり、摩擦によって受け流します。振り技には前述の小手返しをはじめ、小手返しを片手で行なう片手返し、頭上で水平に振って、一方の手で受け取る水平返し、袈裟懸けに振る袈裟返し、三角形に体を捌くと同時に左右袈裟に振る十字袈裟返し、小脇の構えから小さく前方に振り出す小脇返しなど、様々な方法がありますが、いずれ機会を見て詳説したいと思います。

 

 

 日本本土へのヌンチャク術の伝承は、平信賢先生や井上元勝先生をはじめ、何人かの人々によって行なわれています。今でもかなりの人によって練習されていますが、その中で私がもっとも印象深く、また強い影響を受けたのは宗幹流双節棍道の創始者であられる荒川武仙先生です。

 荒川先生のことを知ったのは大学時代に著書「新琉球武道・双節棍」を読んでのことですが、その後も荒川先生のことが気がかりになり、1984年に当時京王線下高井戸駅の近くにあった倫武館道場を訪ねたのでした。初めて会う荒川先生は大変温和で、武張るようなところが全くなく、折り目正しい方でした。武道のみならず、禅や茶道も修業されていて、武仙という号もそもそもは茶道の号なのだそうです。倫武館では宗幹流(ヌンチャク、トンファー、釵、棒等の武器術も含む)と剛柔流空手道とを併せて教授していましたが、いずれも懇切丁寧な指導で、足の指一本の要領に到るまで細かい指導がなされていたこと、そして精神修養を重要視していたことが印象的でした。そして、何よりもヌンチャクやトンファー、棒の技は素晴らしく、おそらく日本有数レベルだろうと思います。ヌンチャクやトンファーは全て先生の手製であり、特にヌンチャクは一尺五寸(つなぎ紐は短い)の比較的大型のものを使い、使い方や攻防技術にも独自の工夫がなされていました。腰に差して抜き打ちが出来るように改良された割り型ヌンチャクや、携帯に便利な一尺の護身型ヌンチャクも考案しており、特に護身型ヌンチャクは紐の長さが自由に調節できるようになっていて、動きの流れの中で短棍から長棍へと変化するところに特徴があります。

 しかしなぜか、荒川先生はその後道場をたたみ、下高井戸からいずこかへ引き払ってしまいました。数年前にやっとのことで千葉県の九十九里浜近くの小さな町に移転していたことを知り、訪ねていったのでした。

 荒川先生は既に自己鍛錬のみ行なっていて、教授はされていませんでした。道場をたたんだ理由を聞くと「要するに、現代の若者に失望したんですよ。道場で正座することもまともに出来ないし、伝統的な武道よりも格闘技の方に目が行ってしまっている。昔通りの教え方はもう不可能です」とのこと。私はさすがに返す言葉がありませんでした。おそらく同じような思いをしている古武道家は全国に数知れないことでしょう。あえて時勢に迎合せず、教えることに関して完璧を求めるのであれば、教えないというのもまた選択かもしれません。しかしそれにしても、荒川先生の名人芸が一代限りで消えてしまうのかと思うと、残念でなりません。

 

 

向かって右から、大型ヌンチャク。棍の長さ一尺五寸。宗幹流のものとほぼ同寸法。

鉄刀木(タガヤサン)製ヌンチャク。棍の長さ一尺二寸。つなぎ四寸。最も標準的な寸法。

隣二組は台湾製ヌンチャク。寸法はほぼ同じ。握りに滑り止めの溝あり。

中型ヌンチャク。材料のイスは算盤の珠に使われる硬木で、示現流の木刀の材料としても有名。棍の長さ一尺。握りには滑り止めの溝、棍底には響き穴が彫られている。つなぎは七寸で、十手の手抜きの紐と同じように手首に巻き付けて使うことも出来る。

フィリピンのタバクトヨク。寸法は右に同じ。火で炙ったラタンに綿の金剛打ちの紐をつけたもの。軽量で、迅速果敢な攻防が可能。

小型四節棍。樫材使用。棍の長さは約五寸。これは四本をまとめて握ることによって、長短の振り技が自由に出来る。

懐中ヌンチャク。棍の長さ約五寸。つなぎ一尺二寸。

最後は練習用ヌンチャク。竹刀の柄と面紐を使用。袋の中には竹刀用の割り竹が入っており、組手稽古に適する。武劇館の林邦史朗先生のアイデア。寸法は標準型に同じ。

 

なお、荒川先生には「新琉球武道双節棍」「宗幹流双節棍道、棒道大全」等の著作があり、宗幹流の技術を連続写真で解説しています。但しいずれも絶版になって久しく、入手は困難であり、復刻が期待されます。